ニュース コラム グッズ 来日情報 お問合せ

全コーナー一覧

サイトマップ

▼検索したいコーナーをお選びください。

STAR INTERVIEW

パク・ソダム「私の体力が許す限り、アクションを続けたい」

(全1ページ)
Q:アクションはいかがでしたか?

パク・ソダム「私の体力が許す限り、アクションを続けたい」

「必ずしもアクション映画でなくても、演技をする時は静かに立ってセリフを言うだけではないので、体を動かします。体のアクションが演技と一緒に行われると自然です。今回もアクションを演じる時は、その人物が持つ感情を合理的に、極大化して見せようと思いました。キャラクターが持つ状況と、その時の感情を最大値で短時間に見せようと思いました。アクションを演じるたびに心臓がすごく早く鼓動するくらい楽しかったです」

Q:映画のためにどれくらいアクション練習をしましたか?

「数か月前から準備していました。準備するのは、体は大変ですが、訓練自体は面白く、撮影も面白くて結果物を見る楽しみもありました。私の体力が許す限り、アクションを続けたいと思いました」

Q:復帰した感想を教えてください。

「本当に久しぶりに多くの方々の前に立つことになりました。昨年、私は自分が病気だとは思っていませんでした。手術が少しでも遅れていたら、声の神経を失うところだったので、急いで手術するしかありませんでした。当時『特送』の公開を控えており、できる限り宣伝してから手術を受けようと思っていましたが、そうするにはあまりにも腫瘍がたくさんありました。約10個の腫瘍を取り除きましたが、リンパ線まで転移していて2ヶ月以上まったく声が出ませんでした」

Q:闘病中に映画が公開されましたが、実際に見られましたか?

「映画の公開後、声も出なくて声も戻りませんでしたが、映画を見なければならないので映画館に行きました。あの時も映画を見ながら泣きました。ずっと待っていた映画だったのですが、直接感謝を伝えることができなくて申し訳なかったです。

幽霊』の試写会の時も先輩から受けたたくさんのことがよみがえってきて泣きました。今考えると、1年というのはとても長くて大変でもありますが、今こうして私の声で多くの方々に会い、舞台挨拶も回れるようになり、新しいエネルギーを手に入れています。私の状況を自らしっかりと把握し、末永く健康に仕事をしたいという気持ちでいっぱいです。最近よく私は幸せそうだと言われます。本当に幸せです」


Q:闘病後に旅行に行ったそうですね?

「生まれて初めて一人旅をしました。最初に10日ほどの旅行を計画し、予約までしていましたが、キャンセルしました。一度も1人で海外旅行をしたことがなかったので、恐怖心もあり、体が100%回復したわけでもなかったので心配になりました。『幽霊』の公開日程が決まった後、今じゃなかったら行けない気がして、もう一度予約して行きました。実は行くまでが怖かったです。1人だと虚しくて、寂しくて、憂鬱になるかと思って心配だったのですが、逆に自分を振り返り、他の人の話を聞いて彼らが生きていくのを見ながら、空にする作業が何かを知りました」と説明した。

Q:旅行はいかがでしたか?

パク・ソダム「私の体力が許す限り、アクションを続けたい」

「旅行はエネルギーを使うことだと思っていました。こんなにもリフレッシュできるとは思いませんでした。今回の旅行は私がどんな人なのかを分からせてくれました。バルセロナに行って、そこでスイスの宿を予約して行って、ロンドンにも行きました。ロンドンではジョンウンさんが映画祭に来ていて、ポン・ジュノ監督とシャーロン・チェも撮影をしていたので、そこで会ってご飯を食べました。それから一人でアイスランドに行き、オーロラを見てきました。そんな感じで34日間旅行をしてきました。もし病気になってなかったら、挑戦できなかったと思いました」

Q:移動は大変ではなかったですか?

「幸い、私は運転が上手いので、レンタカーを借りました。アイスランドでは1人で運転しました。私がどうやってそんな勇気を出せたのか分かりません。“計画がないから、うまくいかないことはない”というセリフは正しいと思いました。計画がないので、うまくいかないこともないですし、私の体調とその日、その日の自分の状態に合わせて旅をしました。自分自身に“今日は何して遊びたい?”とよく自問自答していました」

Q:病気になってから変化したことはありますか?

「私はこれまで肯定的に生きてきていると思い、人から受けるエネルギーが大きい典型的なE(外交的な)スタイルでした。休みの日も家にはおらず、誰かに会ってしゃべって、美味しいものをたべながら充電するスタイルでした。病気をして、約2ヶ月間じっと横になって考えたことは‘私はじっとしていないので、これがいいかわからなかったのだ’と思いました。

32歳で初めて休むことを学びました。これまで私が休んでいると思っていたものは、休んでいたのではなく、エネルギーを消費していました。前に進む道はたくさんありますが、エネルギーをどのように備蓄して、調整して使うべきか、体に耳を傾けるようになるきっかけになりました。もちろん病気になっていなかったらもっとよかったですが、“いい病気だった”と言いながら自分を慰めました。映画『特送』の宣伝ができなかったことが一番残念でしたが、私自身を振り返る時間になりました」


Q:最後に一言お願いします。

「私がした最後の映画の宣伝が『パラサイト 半地下の家族』です。あの時、ありがたいことにたくさんの支持を集めました。再び『幽霊』を宣伝できるようになってもいいうれしいです。

私がヨーロッパ旅行でエネルギーをいっぱいに満たして来なければならないと思いました。私は『幽霊』の先輩に出会って『幽霊』を撮影する時の私は忘れてほしいと言いました。あの時、私は一番健康状態が悪い時に撮影しました。健康的なエネルギーのパク・ソダムじゃなくて申し訳ありません。最近は映画の宣伝をしながら毎日幸せだという言葉をたくさん言っています」

(c)STARNEWS
(1/1ページ)
≪前へ
次へ≫