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世界遺産の旅 2

水原華城
昌徳宮
慶州歴史地域



【水原華城】
수원화성
(c)韓国観光公社

朝鮮王朝第22代の王・正祖(チョンジョ)大王が、父・荘献世子(チャンホンセジャ/思悼世子=サドセジャ)に対する孝心と経済力を備えた新都市を建設しようと計画し、荘献世子の墓所を水原に移して1796年完成した城塞です。

城壁の全長は5.7キロメートルで城壁の上には、体を隠して敵を監視・攻撃できるよう、いくつもの銃穴が空けられた女墻(胸壁)があります。
朝鮮城郭建築の最も優れたもののひとつとして数えられており、長安門、八達門、華西門などの城郭の門をはじめ、西北空心墩、東北角楼、東南角楼などの城塞を囲むさまざまな朝鮮時代の史跡が数多く残されています。

(c)韓国観光公社

毎年秋には華城行宮広場や水原川、錬武台(蒼龍門)周辺で水原華城文化祭が開催されており、この水原華城文化祭はすでに53回を数える歴史ある行事で、水原観光特区の顔にもなっている同観光特区のシンボル的存在のイベントです。

朝鮮時代の王の行次(行幸)を再現した正祖大王陵行次、正祖大王の生母・恵慶宮洪氏の還甲(還暦)宴を昔さながらに再現した恵慶宮洪氏進饌宴は水原華城観光特区でのみ見ることができる伝統文化行事です。

このほかに科挙試験を再現した公演プログラム、水原華城築城体験など水原華城を象徴する様々なイベントが繰り広げられます。

【昌徳宮】
창덕궁
(c)韓国観光公社

李氏朝鮮の宮殿。昌徳宮(チャンドックン/史跡122号)は、1405年、景福宮(キョンボックン)の次に建てられた別宮です。正宮の景福宮の東側にあることから「東宮(トングン)」とも呼ばれていました。

1411年に錦川橋(クムチョンギョ)、1412年に敦化門(トナムン/トンファムン)が建立され、朝鮮時代の第9代の王・成宗(ソンジョン・在位:1469~1494年)の時代から数多くの王がここで過ごし、本宮の役目を果たす王宮となりました。

壬辰倭乱(イムジンウェラン=日本で言う「文禄・慶長の役」)の際には、火災が起きましたがこれは宣祖(ソンジョン=朝鮮王朝第14代の王:在位:1567~1608年)が義州(ウィジュ)に逃れたことに激怒した民衆が、王宮に火を放ったために起こったものです。

(c)韓国観光公社

その後、昌徳宮は1611年に朝鮮王朝第15代の王・光海君(クァンヘグン・在位:1608~1623年)により再建され、自然のものと人の手が入ったものの調和が図られる王宮となりました。現在では数多くの観光客が訪れる場所としてして有名で、仁政殿(インジョンジョン)、大造殿(テジョジョン)、宣政殿(ソンジョンジョン)、楽善斉(ナクソンジェ)など数多くの文化財が王宮の至るところにあり、人々の視線を奪います。

2010年11月にソウルで開催された主要20カ国・地域(G20)首脳会議の開催期間中には各国の首脳が観覧した場所として有名で、韓国の美しさを感じられる、韓国を代表する観光名所となっています。

【慶州歴史地域】
경주역사유적지구
(c)韓国観光公社

慶州市付近に広がる史跡・古墳を保護・公開している地域です。
新羅時代の古都である慶州の歴史と文化がそのまま残された遺跡地域です。遺跡の性格によって、5つの歴史遺跡地区に分かれています。

(c)韓国観光公社

まず、新羅の仏教美術の宝庫である南山地区です。慶州の南山は野外博物館と言われるほど、新羅の息遣いが聞こえることろで、新羅王朝が終わりを遂げた鮑石亭や塔谷の磨崖彫像群、天龍寺址の三層石塔、七仏庵の磨崖石仏、仏谷の石仏坐像など、37の仏教遺跡があります。

次に、新羅千年王朝の王宮であった月城地区です。鶏林、新羅王宮の別宮であった東宮と月池、そして東洋最高の天文施設である瞻星台などがあります。

3つ目は新羅王や王妃、貴族たちの古墳群分布地域である大陵苑地区です。区画によって、路東里古墳郡、路西里古墳群、皇南里古墳群、五陵古墳群、財買井などがあり、墓の発掘調査で当時の生活を把握できる金冠、天馬図、土器など、貴重な遺跡が出土しました。

4つ目は新羅仏教の精髄である皇龍寺地区で、皇龍寺や芬皇寺の石塔が保存されています。そして、5つ目は王京の防御施設である山城地区で、400年前につくられたと推定される明活山城が含まれています。



当時、実際に王が過ごした場所であると考えるととても神秘的に感じられますね。
実際に、戦をしたであろう当時の情景が浮かぶような城壁も、ぜひ一度見に行かれてはいかがでしょうか。

明日は墓所関連をご紹介していきます。
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