キム・ゴウン「大学時代は模範的な学…韓国芸術総合学校の女神“NO”」
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―映画の反応について―
キム・ゴウンが演じたジェヒは、“今日を生きるク・ジェヒ”と呼ばれるほど人の顔色を伺わず、お金がなければスクーターを売ってお酒を飲むほど本能に忠実な人物だ。キム・ゴウンは、映画がベールを脱いだ後の反応について「公開されることも不思議でしたが、評価まで良くて、打ち上げの時もみんな喜んでいました。それだけでやりがいを感じました」と明らかにした。
―作品選択から長い時間を経て―
キム・ゴウンは『大都市の愛し方』の出演を選択したあと、長い期間待った。彼女は「台本を読んで、すごくおもしろいと感じました」として「この映画が制作できないと考えると、惜しいという気持ちが大きかったです。この作品だけを待っていたらつらかったと思いますが、その間に『ユミの細胞たち』シリーズ、『新・若草物語』、『破墓(パミョ)』まで作品を相次いで撮影したので、手を引かず、この作品が制作されることを願う立場でした。随時チェックし、うまくいってほしいと話をしていました」と語った。
―ジェヒのキャラクターについて―
彼女は『大都市の愛し方』のジェヒのキャラクターについて「他人の視線を意識せず、生意気な部分があって、ちょうど20代前半の幼い行動から出る信念があります。そんな過程を越えて成長していき、完全に社会と現実に妥協しようとした時期もあり、自分が望むことを正しい方向に表現できるようになる姿が私たちの人生のようでした」と話した。
続いて「台本を読みながら‘ジェヒが本当に育ってほしい’と思いました。私も20代の頃、自分の考えがとても明確で、それが合っていると思っていたので、それについて大人が一言言うと“大人たちは私の考えを知らない”と反論していた、昔の思い出がよみがえってきました」と伝えた。
そして「私も自分の信念を話したり、一人で考えたりもしました。受け入れられないと悔しくて‘なぜ受け入れられないの?なぜ違うことを間違っていると言うの?’という思いが基本的にありました。でも20代の頃が一番そうじゃないかと思います。不完全で不安定でもあり、大人なので社会に投げ込まれるのですが、解決すべきことは増えて奮闘した気がします」として「どの方向が正しいか悩み、その過程を踏まなければ柔軟性が生まれない気がします。社会生活をして、ぶつかりながらあちこち方向性を探し、自分だけの方法を探そうとする過程があってこそ、柔軟性を得られる気がします」と付け加えた。
―20代の自身について―
また、キム・ゴウンは自身の20代を思い出したという。キム・ゴウンは「私は学生時代、模範的だったと思います。ジェヒほど遊びませんでした。祖母と住んでいて、怖がりなタイプなのでクラブに通ったりはできませんでした」として「20代の頃、江南(カンナム)駅の近くに暮らしながら通学していました。朝、学校に行こうと外に出ると、クラブで遊んでいた方々があふれ出てきました。あの頃は地面だけを見て通り過ぎた記憶があります。だからクラブに行かなきゃという考えにはなりませんでした」と明らかにした。
―イ・サンイのコメントに対して―
これに先立ち韓国芸術総合学校の同期であるイ・サンイがYouTubeチャンネル「DdeunDdeun」の「ピンゲゴ」に出演して「キム・ゴウンは本気で人気があった。私が保証する」と話した。これに対し、キム・ゴウンは「人気を認知していました。でも『韓国芸術総合学校の女神』ではありません。女神という言葉を使わず、“あの子、誰?”という言葉はよく聞こえました」と恥ずかしそうに笑った。
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